「本を読むこと」も出会いのひとつだ。
わたしは若いころ、あまり本を読まなかったので、
20代後半くらいから、それを取り戻そうといつでも、
なにか本を自分の横に置くようになったが、
この本も、たぶん、
10年、いや5年前に読んだとしても、
きっといまほどに、心に響かなかっただろう。
出会うときは、いまだったのだと思う。
いくつか、こころに残った部分をあげてみる。
「すべての人間の生活は、自分自身への道であり、一つの道の試みであり、
一つのささやかな道の暗示である。どんな人もかつて完全に彼自身ではなかった。
しかし、めいめい自分自身になろうと努めている。ある人はもうろうと、
ある人はより明るく。」
「私は、自分の中からひとりででてこようとしたところのものを生きてみようと
欲したにすぎない。なぜそれがそんなに困難だったのか」
「各人にとってのほんとうの天職は、自分自身に達するというただ一事あるのみだった。
〜中略〜
肝要なのは、任意な運命ではなくて、自己の運命を見いだし、それを完全にくじけず
生きぬくことだった。
ほかのことはすべて中途半端であり、逃げる試みであり、大衆への理想の退却であり、 順応であり、自己の内心に対する不安であった」
あとひとつ、エヴァ夫人のことば。
「生まれることは常に困難です。鶏が卵から出るのにほねをおることはご承知でしょう。 ふりかえってたずねてごらんなさい。自分の道はそれほど困難だったか、
ただ困難なばかりだったか、同時に美しくはなかったか、自分はより美しい、
よりらくな道をしっていただろうか、と」
(以上、新潮文庫「デミアン」高橋健二訳より抜粋)
この部分を読んだとき、あたまのなかにある音楽と、映像がうかんできた。
映画「フューチャー」のワンシーン。
このシーンを観たとき、「ああ、わたしもこんなふうに踊りたい!」
そう思ったんだけど、観た方でおなじ思いをされたかたはいるだろうか?
(わたしだけかなあ)
「卵の殻」と、このダンスと、そしてBeach Houseのこの曲、
今年になってわたしが経験したものが、シンクロした!
すべてが今を選んで、こちらへやってきたのか、
それともわたしが、選んでそちらへいったのか。出会いって不思議。
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