2023-04-09

音楽ファンをやめるな!

 初めて『山名昇』という名前を意識したのは2001年に『BLUE BEAT BOP!』というSKA & ROCK STEADY のガイドブックが初めてでした。

 頭でっかちになりがちな内容なのに、語り口が粋なせいかグイグイと惹きつけられ、ディスクガイドではあるものの、山名氏が提示するそれらはとにかくカッコイイ!はっきり言ってこれ以上にクールなディスク・レビューはないのではないのか?そう思わせるほどな1冊。そしてクールなだけではなく詰将棋で積まれた様な、もうそれ以外の真実・情報はないのではないのか?と思わせられるほど細部や本筋以外も目から鱗な1冊。そんな山名氏が私家版で刊行された『寝ぼけまなこのアルファルファ』なる本があると知る。

 憧れ続けて22年。なんと筑波のPEOPLE BOOKSTOREにて2022年11月5日『伝説の書、山名昇「寝ぼけ眼のアルファルファ」を著者と紐解く午後』なるイベントがおこなわれました。2020年末に入院され体調が心配だっただけに、何がなんでも参加しなければと思い僕は筑波を目指しました。

会場に到着すると山名昇氏は、すでに聞き手である北沢夏音さんと着席されており会場が人で埋まって行くのを見つめられていたお姿は、とても印象に残っております。

 「無音は緊張するから」と持参されたレコードをプレイ。

1曲めはThe Marvelettes!

 一気に会場が和むのが手に取るようにわかる最高な一瞬。

 本題の『寝ぼけまなこの、アルファルファ』について、著者である(当たり前ですが)ご本人から出版の経緯などが語られました。

 あの名著は親族より借金をしたうえで創られたことや3色刷りでこだわったポイント。なぜ自費出版という方法を選ばれたのか?に対しては「巻末に出版元が、◯談社って書いてあるより、カッコイイでしょ?」と次々飛び出す名言の数々。とにかく痺れっぱなし!

 あれもダメ!これもダメ!バサバサと文化をぶった切るその痛快さ!ただダメなんではなくそこには組長なりの愛や見識が読み取れる最高な1日でした。

 きっと詳細はいずれ何かしらの形になるでしょう。とにかく主催してくださったピープル・ブックスの植田さん、ありがとうございました!(以下・当日選曲された曲のおぼえ書きほんの一部)

The Marvelettes

・Lionel Hampton/Staraust

・Sly & The Famlystone/Fresh

 


 

2023-04-04

台風クラブについて書く その二



 5年ぶりに台風クラブがアルバム『アルバム第二集』をリリースいたしました。
当店CLASSICS RECORDSでも取り扱い1stプレスは予約のお客様だけで、当店の枠を満たしてしまい、店頭に出品することができませんでした。
そもそも入荷の枚数も他店様に比べると少ないのはありますが、それにしても彼らの持つポテンシャルには、驚かされました。

 本来なら、入荷のタイミングでこのくらいのことはしなければと思っていたのですが、
改めて『アルバム第二集』について、個人的な感想を含めツラツラと書きます!

 シングルカットもされた台風クラブお得意のファスト・チューン「野良よ!」
The Knackもびっくりなアレンジ(仕掛け?)にニヤリとさせられる1曲。その勢いをそのままに、速いし切ない「へきれき」。
そしてシングルのリリースタイミングでも散々聴いたし色々考えたけれど、こうしてアルバムの中の1曲として聴くと、やっぱりいやさらに良い曲。
個人的には台風クラブ節炸裂の1曲と思います。(商売が下手すぎてシングルが、在庫僅少ですがあります。。。
未購入の方このタイミングで是非に。。。)余談が入りましたが先に行きましょう!
「旅情」演歌かよ!とツッコミを入れたくなるタイトルとは裏腹に、最高なビートリッシュなナンバー!
「日暮らし」アッというまにA面ラストですめちゃくちゃ良い曲、後ほどまとめて書きます。

 B面は「道草」からスタート!他に類を見ないという意味で、逆に彼ららしさが滲み出してしまった杞憂な曲。
「とんがりブーツ」ザ・ビフォワーズとのスプリット・シングルに収録され記憶に新しい1曲。台風クラブからビフォワーズへのラブ&リスペクトな1曲。"最初に食らった一撃を 覚えていたいだけ!"
「抗い」事前にリリースされた曲が、多く収録されたこの『アルバム第二集』にて初お目見えの1曲ですが、いやいや十分シングルカットできますよ!
「なななのか」思わず声が出てしまうイントロ、ドラムのフィル・インこれは?まさかの?そう前述した「日暮らし」同様彼らに深く深く影響を与えたであろう最高なバンドを思わせるアレンジ。
〇〇っぽいだとか、〇〇の引用だよねっていうのは、あまりに簡単すぎるし、ロックっぽくないと思いませんか?「なななのか」でも十分エンディング的なのにラスト「火の玉ロック」の素晴らしさ!
『ああ、やっぱりこの物語は、ここでエンディングを迎えるんだな』とこみ上げてくるものが隠せないです。

 かけ足ですが『アルバム第二集』全曲レビューでした。改めてアルバムを聴くと、彼らが5年という年月をかけて、練り上げてきた1曲1曲。
それは彼らがこの5年の間に経験し・感じてきたことを綴った1本のロード・ムービーです!


台風クラブ「アルバム第二集」アナログ・セカンドプレス

2022-10-29

山下達郎氏のライブに行ってきました!

  今まで何度か申し込むも、抽選で外れてばかりいたコンサート・ツアーのチケット。どういうシステムなのかはわからないけれど『ご用意できました』とのメールが!さらに発券して座席番号を見た瞬間思わず声が出たほど驚きました!

 NHKホールの1階 Cエリアがステージからどの程度の距離かは、会場のHPで確認できますのでご興味ある方はぜひチェックをして見てください。

 中学生の頃に出会い何度となく聴いてきたアーティストの一人。ただ積極的にというか、のめり込んで聴いていたのは他のジャンルで、思えば(何かの隙間に聴いたりと)かなり雑?に聴いていた。レコードなどもいつでも買えると思い後回しにして、実は手元には2012年にリリースされた『OPUS』しかないとくる。(それも10年前のリリース!)にわかファンと言われても「はい、その通りです」と認めるしかない位かもしれません。

 山下達郎氏が、紆余曲折を経て現在のメンバーとツアーを開始した頃、こけら落としに市川市文化会館が選ばれることが多かったと記憶しております。(歩いて行けるほど)近所に住んでいたこともあり、そのツアー・スケジュールを目にする度に「今回は行って見ようかな?」なんて、いつでも誰でもいけるモノの様に思ってのんきにかまえ気がつくと、チケットが完売していたり、いざ申し込むも抽選でハズレたりと、甘い考えはことごとく打ち砕かれてきたわけであります。

 そこへ冒頭のメール。10/26プラチナ・チケットを握りしめて、いざNHKホールへ!

 全てが噂通り。開演前のご自身でセレクトされているというドゥー・ワップ。バックのミュージシャンの演奏力。圧倒的な歌唱力。ラジオでもおなじみのMC。やっぱり実際にライブを観ると、本当に感動というか、真意のようなものが感じられる気がします。長丁場だと途中ダレてしまわないかなんていう、心配は全く無用。演奏される曲全てが名曲につぐ名曲。ダレるわけないって俺!(反省)特に個人的に聴きたいと思っていた曲が多く聴けたことも、本当に今回のライブを思い出深いものにしてくれた理由のひとつです。

 年末には誰しもが一度は耳にするであろうあの曲もその中の1曲。あの曲も実は、本当にロックな曲だということもライブじゃないと伝わらないことのひとつと思えます。バンド・サウンドが一体になりつつも氏のギター・バッキングが曲を推し進めているように感じられ興奮!少し季節が早いので今回は諦めかけていただけに。。。。嬉しかったなー!!!

 来年以降も、体力の続く限りライブに軸足を置いて活動されるとのことでしたので、機会があればまた、ぜひ参加したいと思います。その前に抽選だな!


 

 


2022-07-30

馬鹿は治らない。

 僕の奥さんは精神に疾患がある。パッと見た感じだとわからないかもしれないけれど。今でこそ色々と状況が改善され、落ち着いている時間が長くなりましたが、症状が辛かった頃は、寝ているか。泣いているか。体は痩せ細り本当に見ている方でも辛い時間が続きました。本人はもっともっと辛かったと思う。

当時を振り返り彼女はこう呟く「目が覚めたら10年位経ってないかなって思ってた」

 そもそものきっかけ・原因は、僕には思い当たることがたくさんありすぎてわからない。自分が勤めていた会社の転勤に伴う引っ越し。彼女自身の仕事場での人間関係や仕事に対するこだわり。交通事故。何にせよそれらがまとまって彼女に病気の種がまかれ、発芽し、彼女の心を巣食ってしまった。悪い木々が成長してしまうまでの時間になんで、もっと守ってあげられなかったのか、考えてあげられなかったのか、気づいてあげられなかったのか自問自答の日々は今でも続く。

 最近ようやくその種に水や栄養を与えていたのは僕だったと認められるようになった。仕事ということを理由に、家庭内の仕事やメンテナンスの一切を彼女に任せ、彼女が不調を感じだした頃も、あまりうまく不安や不調に向き合っていなかった。もちろん『自分なり』には努力したつもりだが、それは所詮『自分なり』でしかなく、彼女がどれだけ、大変だったかは知らなかったと思う。今でこそ国や県や市からのサポートや良い先生との出会いなどがあるが、当時はそんなサポートがあることすら知らなかったし知ろうとしていなかった。彼女は一人で病院をたらい回しにされ、時に怪訝な対応をされ、時に厄介な患者として扱われていたのは、言うまでもない。そんな時僕は、彼女に寄り添って上げることではなく、仕事やそれにまつわる付き合いを優先していた。市役所などでもただでさえ体調が悪いのに、書類の不備を指摘されたり窓口で待たされたり。考えれば考えるほど、なんで僕は一緒に行ってやれなかったのか?もっと動けなかったのか。『自分なり』に家族を守るために働いているつもりだった、実はその逆で家庭を壊していたなんて思いたくなかった。街を歩く家族やカップルは楽しそうで良いなと思っていた。なんで俺の家はこんな風になってしまったんだと、根底にある原因などから目を背けていた本当に馬鹿でどうしょうもない男。全てをうまく乗り越えてやると意気込んでいたけど、結局なにひとつ乗り越えられず、大切な家族まで傷つけてしまった。

 好転のきっかけは、福岡で受診したクリニック。それまでは、お医者さんなりに、病気を痛みを治したいという思いからではあるだろうけれど、検査につぐ検査。結果はわかりません。問題ありません。の繰り返し。そのクリニックで初めてカウンセリングというものに出会ったと記憶している。「これまで何年もかけて、体調を崩してしまったんだから、体を治すのにも何年もけけないと」先生の言葉は今でも僕の中で響いている。

 しかし馬鹿は死ななきゃ治らないという言葉は本当で僕はまた間違いを起こす。人事異動の辞令がでた。行き先は横浜。当時九州に住んで10年を迎えようとしていた。街も、友人も何より奥さんが安心して通える病院、先生がいた。九州を終のすみかにしても良いなと思い始めていた。

 当時僕は、奥さんの問題とは別に親族の問題も抱えていた。早くに亡くなった父。残された母親を誰が見守るかという難題だ。兄弟で見守れば当面は大丈夫だろうと思っていたが、兄夫婦は、いずれ誰かが面倒を見なければならないんだからと、兄弟の誰かが母との同居が望ましいという意見を下げなかった。ただひとつ『俺たちは見ない』という条件をつけて。

 心底頭にきた。

 今思えば無駄な正義感や(正直今はほとんどなくなってしまった)母を思う気持ちが、爆発してしまい「俺が面倒みる、横浜への辞令も出ている」と兄夫婦へ啖呵をきり、会社には転勤を了承し横浜へ向かうことにした。離れていたからこそ良好だった、奥さんと母親の関係を『うちの奥さんなら、仲は良いし、きっと大丈夫だ』と引越し・義母との同居という道を選んでしまった。地獄行きのワンウェイ・チケット。馬鹿は死んでも治らないかもしれない。

 幼少期、健康でもないのに、背だけは大きく。ヒョロヒョロだった。喘息にアトピー性皮膚炎。母には本当に迷惑をかけてしまった。その頃優しくしてもらった記憶もあり恩返しだ、親孝行だと躍起になっていた。兄夫婦のにやけた顔がちらつくのも許せなかった。そんな自分に酔っていたのは今ならわかるがその時は何も考えていなかった。

 案の定生活は破城することとなる。当たり前だ。朝から晩まで知らない女と二人きり。唯一の仲間・理解者(でありたい)男は仕事・仕事。リラックスできる時間は1分もなかったはず。鈍感な僕でさえ様子がおかしいと思うくらい人間関係はギスギスしていた。決定的な出来事がいくつかある。「こんな固いものは食えない」「流しのスポンジが濡れている」あんなに優しかった母親が声を荒げている。息子である僕がそう思ったくらいだから奥さんはさぞかし辛かっただろうし、悲しかったろう。 確かに良い時間も少しはあった(と思いたい)。

 「お母さんににお返ししなさい」母親が俺に向かって言った。

 親なら孫を抱きたい平穏な生活を送ってほしいと思うのは理解できる。そりゃそんな生活も経験してみたかったよ。でも選ぶ権利は僕にある。奥さんにある。さようならお母さん。

 横浜での奥さんの病院探しも大変だった。市民病院では心療内科の先生が「今日でやめます。先生も辛いんですよね、あなたならわかってくれますよね」と奥さんに逆に話を聞かせて去って言ったりしていた。今でもお世話になっているS先生に出会うまでは。

 横浜の店舗から相模原の店舗へ移動が決まった。それまでの家賃補助が減額されたうえ朝6時には家を出て帰宅は深夜12時頃。やってもやっても給料は上がらない。一応補足すると当時の店舗では、売り上げ昨対も負けなし、接客調査でも1位。仕事だけはやってたんだよ。さらに津田沼の店舗への辞令がでた。引っ越しは本意ではないけれど家賃を下げたかった一心で了承した。そのタイミングで母には離婚して一人で暮らしていた弟のアパートへ引っ越してもらった。

(続く)


2022-01-29

メシアと人人(メシアとにんじん)について書く

「照明さん!オアシスみたいにお願いします!」「スタジアムみたいに!」
一見トボケた感じのギター・ヴォーカルのMCの後、想像の遥か上をいくギターサウンドと熱い演奏が爆発!
正直半分くらい何を歌っているのか、わからなかったけれど、とにかく心を鷲掴みにされた曲「ホームセンター」が、彼ら『メシアと人人』を知るきっかけでした。
それにしても、件の「ホームセンター」の動画で7年前!

関東圏からは生まれ得ないであろう独特のグルーブと雰囲気は、言葉では言い表せないです。多分そこに惹かれているのでしょうけれど。
彼らの織りなす、ワイルドだけれどどこか危なっかしいサウンドと時折見え隠れするインディー/オルタナティブ・ロック的なアプローチの名曲「悪あがき」などを聴いてもらえれば
少しは僕の言っていることや言いたいことが伝わるような気がします。本当に素晴らしいんです。
ギターとうたの北山敬将とドラムとうたのナツコの二人組。魅了的なメンバー二人のキャラクターも素敵です。
京都・関西の懐の深さにはいつも驚かされますね!
以前The Naggsのブログでも書きましたが
なかなかライブに行けないタイミングですが
こうして新しいサウンドに触れられる機会があるということは大切にしたいと思った2022の1月です。(h)

ということで、12年越しでリリースされた1stアルバムを当店でも扱っています。



2021-05-03

2021年のゴールデンウィーク

 普段リビングとして使用している部屋にある押入れは、雑誌やCDの倉庫的な感じで使っているのですが以前よりなんかこう、きたないというか、ぐちゃぐちゃで気になっていたのです。

4/29より突入したゴールデンウィークですが、まあ相変わらずのコロナ禍という事もあり奥さんの実家のある御殿場へも行かずに自宅で過ごしているわけですが、コソコソと『1日1カ所掃除』をすすめております。

というのも年末の大掃除をGWにやるのがいいなと数年前からこの方式を採用しこの時期に網戸を綺麗にしたりしております。

4/29は台所の一部を4/30は寝室の窓枠を、その流れで例の押入れを整理してみようと思ったわけです。

まあ軽い気持ちで始めたのですがちょっとやばかったです。いかに無駄なものを溜め込んでいたのか思い知らされました。

でかいダンボールが4,5個あったので中身を確認したところ

・海外旅行の際のチケットやホテルのカードキー、現地での買い物レシート

・写真、ネガ

・過去のライブのチラシや半券

・手紙、ハガキ

どれだけ思い出大切にしてんだよ俺!

とはいうもののそれらをごっそり捨てられるほどの強いハートは持ち合わせていないので一旦保留という最悪な方法でその場をしのぎました。

中身を確認して気がついたのは、隙間が多く実は別の小さい箱にまとめれば簡単にスッキリしそうだということ。

思い出という大海で遭難しかけましたが心を引き締めかたずけまくり!雑誌やCDは選定しているとさらに状況が悪化するのでこれまた一旦保留。同じタイトルや版形で整理。本当は写真や動画を残そうかと思いましたが、そんな悠長なことは言ってられないなと判断。作業を進めました。のでオチも何もありません。いいんです。

作業に戻ります。

いらないゴミや処分可能なものは、それぞれ次回の収集日にすぐ出せるよう別にまとめたり朝9時30分頃から始めたのですが、気がつけば午後1時30分!せっかくなので部屋の中にあふれ出ていた本や、CDなども押入れへ。

やりましたよ、下段だけですがまあ合格点。今後は壊れた扇風機2台・ブラウン管テレビ2台を廃棄・リサイクルへ。

オススメですよゴールデンウィークの大掃除。

(H)



2020-08-27

UA/情熱 ブレイク前夜

その日は、なんとなくテレビを観ていた。
自分は高校卒業後18歳くらいから一人暮らしをはじめ
基本的にテレビのない生活を送っていたので、テレビを観ていたってことは、お金も尽きて又実家に戻ってゴロゴロしていた25歳位の時だったと思う。 

その時観ていたのは『The夜もヒッパレ』
歌手や芸能人がリレーでカラオケを歌う。。。そんなバブリーな番組だった。
そんな番組で 当時一番人気のあったと言っても過言のない 安室ちゃんがUAの情熱をカバーしたのをはっきりと覚えている。
調べて見ると司会は三宅裕司。そうそう司会いたいた。 
曲紹介に赤坂泰彦。このDJ赤坂の印象が強かった。
安室ちゃんはスーパーモンキーズとレギュラーだったのね。

UAは、当時注目していた藤原ヒロシがデビュー曲をプロデュースしたこともあり個人的には知っていたし注目していた。
けれどまさか、こんなお茶の間に向けての番組でマイナーなアーティストの曲が取り上げられるなんて、それはそれはとても、信じられない光景だったのをよく覚えている。
番組は一応ランキング形式での選曲だったようなので
いわゆる『もうすぐベストテン』的なコーナーだったのかもしれない。  

当時自分はCDチェーン店『ヒズ・マスターズ・ヴォイス』の支店で邦楽担当をしていたこともありそれなりに音楽にも情報にも精通していたと思う。 

確かあの日は、それこそUAのニューシングル『情熱』が翌週リリースされる夜だったはず。
こんなこともあるんだなーなんて、のんきに構えていた。 

ところが『情熱』リリース日、遅番で出勤すると、UAのシングル・12"いずれも午前中に完売。 後から後から在庫確認の問い合わせの数々。。。。 
自分は担当者のくせに発売日当日には、現物を見ることなく帰宅することに。
あの番組を観ているタイミングで何か出来なかったのか? 
そもそもイニシャル入れる時点で、発注枚数もっと勝負出来なかったのか? 

ああ、そうか。これがブレイクか。。。チクショー! と遅まきながら知った一日でした。
これ以降同じような光景を何度か経験することになるなんて。。。
またの機会に・・・・

H