1999年のころ、わたしは20代なかばで、
自分には大きすぎる仕事をまかされて、
毎日毎日、息をするのもたいへんだった。
仕事仲間もいたし、楽しかったし、
やりがいもあった。ひとりではなかった。
でも、どうしてか、ひとりぼっちの気がして、
さみしかった。
毎日毎日、朝と夜と、
多摩川の上を、いったりきたりしていた。
その夏は、
ヨ・ラ・テンゴの「I Can Hear The Heart Beating As One」と、
ブラッドサースティ・ブッチャーズの「未完成」ばかり聴いた気がする。
多摩川の水が流れていくのをみながら、
川沿いで野球するひとたちをみながら。
その冬にわたしははじめて、
血がつながらないひとと、家族になった。
あれから、ずいぶんながい時間がたって、
いろいろなまちに行き、
心臓がつぶれるかと思うような、つらいこともあったりしたけど、
わたしはいつも、ひとりぼっちではなかった。
これからもずっと、ひとりぼっちではないと。
昨日、
唯一無二の、ギターを弾くひとの、
唯一無二の、歌を歌うひとの声を、ふたたび聴きながら、
突然、また、
ひとりぼっちになってしまう日がくるかもしれないことを、考えた。
それは突然、やってくるかもしれないのだ。
歌は、残る。
音楽も、残る。
でもやっぱり、さみしい。
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